P.メルチャーズ蒸留所 – その歴史
オランダの蒸留所について
オランダの各地、中でもスキーダムでは16世紀後半には小規模ではあるものの「Aqua-VItae(命の水=スピリッツ)」の蒸留が行われていました。これはレイデン出身のRev Coolhaes氏が1588年に書き残しています。。Rev Coolhaes氏が記し、使われてきた基本レシピには、悪くなったワインにエール、そして奇妙なことにグレーンの代わりに果物が使われていました。時とともに蒸留技術は向上し、やがて蒸留は専門的な職人技となりました。当時オランダはヨーロッパ有数のグレーンの産地でした。これがスキーダムの蒸留技術の向上に寄与し、様々な蒸留酒がこの地域で製造されました。多いときには、この地に400余りの蒸留所が林立していたこともあります。
設立者について
1837年、Petrus Melchers氏は既存の蒸留所を買い取り、その深い知識と職人技
であっという間に国内外の市場に確固とした地位を築きました。Petrus氏のモルトリカーは当時から最高の原料で作られ、CastleやJuniper Treeといったブランド同様、単式蒸留技術によって生粋のオランダ産ジェネーヴァへと精製されました。
これらのブランドは、特にアメリカ向けの製品として生産されていました。その売り上げと生産量の急増伴い、メルチャーズはスキーダムの「Nieuwe Haven」に新工場の建設を決め、工場名を「ニューヨーク」としました。
北米への順調な輸出に加え、Petrus氏は高品質なスピリットの販路を南米、アフリカ、オーストラリアの会社へと拡大させていました。長年に渡るビジネスの拡大、輸出貿易での成功の後、設立者であるPetrus氏は1888年に逝去し、メルチャーズは実の息子であるM. J. Melchers氏とスキーダム市の元市長M. L. Honnerlage氏に引き継がれます。彼らは共に協力しあい、オランダの消費者に焦点を絞ることで国内にも新たな販路を見つけ、その後訪れた海外での輸出販売量の減少を乗り越えました。
受け継がれる家族の伝統
グレーン・ジェネーヴァのブランド「Locomotief」や「Kasteel 1837」はやがてオランダ国内でも好評を博すようになりました。これには、コンビのチームワークもさることながら、常に安定した品質を確保できる典型的なトリプル蒸留 + 単式蒸留、地下の熟成タンクでの貯蔵という方法が貢献しています。d.
1910年、経済的また実務上の理由からP. Melchers蒸留所はスキーダムの「ニューヨーク」ビルから、同市内のLange Havenにあり未だ現存するビルへ移転しました。
長年成功を治めた共同経営を経てM. J. Melchers氏の死後、その息子のLambert Merchers氏が1936年にそのまま会社を引き継ぎました。2回の世界大戦をくぐり抜けたメルチャーズは、代理店を使って徐々にヨーロッパ、西アフリカ、南米やその他オランダの旧植民地でも市場を獲得していきましたが、1970年代にLambert Melchers氏はその息子Rein氏の助けをかりて、蒸留所をVonk家に託すことになります。Vonk兄弟は新しいブランドや製品の開発に意欲的に取り組み続け、新たな市場を確立していきます。
新たな輸出事務所
1985年より開かれたNijkerk村にあった輸出にかかわる事務所は、2003年6月1日、
倉庫とともにLelystadへ移されます。また、古い歴史を持つ「Lange Haven」蒸留所は
1994年にリノベーションされ、今日ではオランダの蒸留所博物館として実際に使用されていた状態で残されています。現在の会長であるPieter A.Vonk Sr.氏は生涯をアルコール飲料の製造に捧げ、その歴史は現在、息子であるPieter A. Vonk Jr.氏によって引き継がれています。